考察,  第1部

ヴェトナム帰還兵に学ぶ

せっかくなので、書籍に沿い自分の体験と併せて記事を書いていけたらと思う

タイトルには書籍の見出しや小見出しを使わせて貰おうと思います

著作権に引っかかるといけないので、文章の引用は短めに留めて

私なりの解釈と自分の体験や共感を記事にしていきたいです。よろしくお願いします。

第一章、冒頭にある『君のためなら千回でも』、『否認ー恐怖の回想録』こちらの抜粋文章は一見して不可解な文章にも見えるけど、どちらもフラッシュバックと解離を現しているのだと理解する。私の人生の半分以上をこのような状態で生きて来たなと強く共感するからだ。

この文章に自らの人生が思い当たるなら、解離と共に生きている当事者であることも判断できるだろう。

著者が退役軍人クリニックで勤務した初めての患者トムについて

やかましい音や花火、暑さ、初夏の鬱蒼とした緑を背景にして姉の裏庭でとる食事のどれもがヴェトナムを想起させるとあるが

何でもない日常が当人にとって、回避すべき現実であると言うことは私にも当てはまる。

澄んだ空気の晴れた冬の日、金木犀の甘ったるい香り、幼子の泣き声

焦り、不安、緊張でいっぱいになる。平静を保てなくなる自分に異常さを自覚する

私はトムに関する記述に何度も共感するのです。そして、著者が悪夢に対する治療として改善が見込める処方についても

トムが服用しなかった理由というのが、私にも身に覚えのあるものでして。

辛さ、悲しさから逃れたいと切に期待しながらも、もしそれが改善されてしまっては、この辛さ、悲しさが無かったことになってしまうというのは非常に不本意だと思っていること。

これこそがトラウマの迷宮なのだろうと思うのです。

現在のPTSDを以前は外傷性神経症と呼ばれており、この神経症はその核心において、生理学的な神経症であると結論を出したガーディナー氏

本物の教科書は一冊しかない、それは患者であるというセムラッド氏

今も昔もこのトラウマという現象に、真摯に向き合って、打開の策を探し出そうとしてくれていた人間の存在が、私にとっては希望に思います。

“我々の苦しみの最大の源泉は、自分自身に語る嘘である”

ここにも私は思い当たる事が多々ある

トラウマを抱える事になった出来事など無かった。怒りも哀しみも絶望感すらも無かった。そう錯覚することで生き延びる事が可能となった。出来事と感情を、感情と身体を切り離すことが唯一の生き延びる術だったとも言える。

メカニズムとしては、私の中でもストンと落ちる内容だ

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