考察,  第1部

トラウマと自己の喪失

“患者が残虐行為を報告するとき”と題する論文で後半に書かれている

“彼らは、はなはだしい恐怖、依存心、興奮、あるいは激怒を感じてしまったがために、自分を見下しているのだ”

これは私自身の心理を言い当てていると腑に落ちた。

私は養育者から性的な虐待を受けていた。

だけど、あれは虐待だったのか?自分でそう言い切る自信がいつも持てずにいる。

そこには自分がその行為について、いつからか快楽を感じていた事をはっきりと覚えているからだ。

その行為がある事で生活を共にしている私自身に心理的メリットがあった。

私は自分の方から誘い続けたんじゃないかと

被害者であるはずの自分に被害者面できない側面を感じている

著者が児童虐待の犠牲者を診たときにも同じような現象に出合った、とあるが

ここにはセクシャルな含みを持たずに書いてあるが、私にはこの虐待が性的虐待を指すのであろう事がわかる。

読む人は注意が必要だと思われる

当事者が読むならば、ある程度の回復過程にあることが必須なのでは?と少し懸念も感じます

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