人生はゲーム
自己啓発やスピリチュアルの情報に触れることがあると「この世はゲーム」みたいな文言に出会うことがある。
生まれる前にゲーム(人生)の初期設定(環境、能力、見た目)を自ら選んでゲームをスタートさせるということらしい。
もともと魂の存在が主体である我々は物質世界に生まれることで様々な制約がかかり、思い通りにいかない苦という体験を多くする。苦を体験することで多くの学びがあるというのだ。そしてそれは魂の成長に還元される。
またこのゲームの目的は「自分が創造主の一部だと気づくこと」だという人もいる。
話は変わるが私は人から注意されると非常に腹立たしく感じる。注意の内容がいちゃもんをつけられているように感じることが多い。もちろん注意された内容に納得がいくこともあるのだが。
私は幼少期からいろいろとダメ出しをされ続けた影響で、もうこれ以上なにをどう直せっていうの?もう指図するなっていう感覚が湧きやすいようだ。
言葉は悪いが注意をしてくる人の能力はそんなに高くないように思ってしまう。そんなことはわかっているよ、いろいろ選択肢を考えたうえでこちらを選択しているんだよ、と思うこともあった。
人生はゲームだと仮定するとHard,Normal,Easyなどの選択もあるのではないかと思う。Hardモードでスタートすると体力は10でスタート、Easyモードだと100でスタートという感じだ。
機能不全家族で育った人の多くが、Hardモードでこの人生を始めたのではないかと思う。体力が10しかないのでゲームスタート時からすごく慎重になる。何とかなる、楽しもうという感覚より、どう生き延びるかだけを考える。
Easyモードでクリアした人のゲームの攻略法とは大きく違ってくる。Easyモードでクリアした人の助言は参考にならない。その人は何度弾にあたってもいいのだから。
私は注意をされるのが嫌いだと先述したが、おそらくこのEasyモードをやっている人だと感じた人の助言に腹立たしさを感じるのだと思う。