雑記帳

歪んだ感覚

私はスポーツ中継をよくみるのだが、贔屓のチームが負け始めると自分が応援しているから負けはじめた、という感覚がある。

そのチームの勝敗と自分は全く関係ないと頭ではよくわかっている。しかし感覚として自然と湧いてくる。理性、理屈ではわかっていてもどうしようもないものだ。

この例一つとってみても私の場合、トップダウンよりもボトムアップが必要だと痛感させられる。両方とも必要なのだろうが私の場合はボトムアップの比率を高める必要がありそうだ。

話は戻るが、何かうまくいかないことに対して自分が悪いのではないかと考える癖を植え付けられたとおもう。

私が10歳くらいの時に弟が祖母の財布からお金をとった時も、両親が愛していた弟よりも私がひどく怒られた。理由は監督不行き届き。今となってはそれは理不尽なこととして気持ちの処理は出来ただろうが、当時はそんな家庭の中が全てだったので私が悪かったのだろうか?どうすれば良かったのだろうか?と自問していたと思う。

思い起こせば私は全く関与していないことで虐待を受けてきた。

母親はよく言っていた。父親が理不尽なことを私に対してやってきたので私が母親に抗議した時も、「あなたにも非があるから」「喧嘩は一人では出来ないでしょ?」と。きっとその時父親も母親から注意されていれば私もまだ納得出来たと思うが、変化を要求されるのはいつも私だけ。

私は心に相当な怒りや不満を溜め込みながら大人になったと思う。

しかしその自分を救えるのは自分だと思う。私は自分のネガティブな反応を受け止めてあげて、人生を取り戻す。

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