考察

暴露療法

自分の身に起きた凄惨な出来事に自ら近づくことを意味する

本能としては避けている物事に対して

抗って正面から切り込むのが、この暴露療法だと思う。

私の主治医はこの治療に関して”外科的治療”と言っていた。PTSDとは、本来は痛みを緩和したりするような手当て的な治療を行うのがスタンダードだけど、一般的な手当て治療では、効果の無くなる瞬間というのがある。私の場合はそれだった。始まりが何だったか忘れてしまったけど、生活の多方面で負荷のかかった状態だった。痛みから逃れる為に起こした言動でまた新たな傷を負ってしまう。そんな負のスパイラルに陥った。

眠りたいけど、安心して眠れる環境になかった事も不運だったと思う。空腹を感じなくなる。食べる事に使うエネルギーを持ち合わせておらず、こちらも負のスパイラルから抜けられない要因だった。常にエネルギーが不足している状態は神経を過敏にさせた。

1週間ほど、このような異常事態と戦ったのち私は入院した。ストレスケア病棟という静かな病棟で部屋は全個室だ。穏やかで暖かな雰囲気のそこは私にとって居心地の悪い場所だったけど最適な場所だった。

かなりの薬剤を使って初めの3日間は昼間も夜も関係なく、ひたすら眠る事となった。

寝ている間も悪夢は続き、ひどく憔悴していた。

4日目あたりからは起きている時間ほとんどを書く事へ専念した。昼も夜も関係なく。起きている時間はいつもノートとペンで自分と向き合った。

頭に浮かぶ過去の映像を止める為に

あえてその映像を文章にするように努めた

書いては寝る、覚めては書く。書いてはまた飛ぶ。そんな繰り返しを辞めなかった。私はとことん書き続けた。

週4頻度で主治医は私のところへ来た。

担当心理士とは毎週、1時間会っていた。

その時に必ず書いたノートを手渡した。

それに対する質問や助言をされた。

そうやって自分の身に起きた出来事に一つづつ解釈をつけていく作業をしていたのだ。

主治医が私と話した後、必ず私は荒れた。一見、悪化したようにも見える。

それでも私は書くことを辞めなかった。

書く以外には逃れる方法を見つけられなかった。

主治医もそれに応えるよう、ペースを変えずに私のところへやって来た。

1ヶ月が過ぎた頃やっと書く手を止めた

全く過去の映像に囚われなくなった。

それよりも、今までの生活に戻るためのプランを考えたり、どうすれば負荷を分散させてやっていけるかを考えて、前を向くように変わっていった。

そうだった、普段の私はいつも前しか見ていないのだ。それに気づいた。

それが出来なくなった瞬間わたしはまた暴露療法に頼るだろうと思っている

一度、あの感覚を体験すると

普段の生活でも実は身についていて、小さなフラッシュバックには、対応できるようになってくる。

あの時ほどに過去への囚われは、もう経験しなくなるんじゃないかと、確信している

何故ならば、どうすればまた戻れるかを知っているからだ。

担当の心理士さんとの連携も必要だったけど

主治医への信頼があってこそのあの治療だと思う

いまの主治医とは、10年以上の信頼構築の上で成立したのである

結局のところPTSDは治すのに時間がかかると言うことなのだろう

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