考察,  第1部

逃避不能ショック

動物における学習性無力感との論題で

施錠した檻に犬を閉じ込めて、痛みを伴う電気ショックを繰り返し与えた、とある

何度か電気ショックを与えた後に、檻の扉を開くと、ただちに逃げ出す犬と対照的に、繰り返し与え続けた、逃避不能ショックを経験した犬たちは、逃げずにその場で横たわり、くんくん鳴きながら脱糞した、とある。

この感覚も私は体感として見覚えがある

あまりにも圧倒されるような状況が日常的にある時、扉が開いている状況のことを危険と認知するのだ。

何故ならば今なら、ここから逃げられるかもという期待を抱いてしまうから。その期待とは一番、危険なことだと、これまでに散々と教え込まれてきたのだから。

希望とか期待とか本来ある方が良しとされるものも

環境によっては、それらが命取りになることを私は知っている

この逃避不能ショックの実験は私が経験してきたあの頃を物語っていると感じた

2件のコメント

  • だい

    希望を持つと、それが叶えられない時(叶えられないことがほとんど)に落胆するから私は希望を持てなくなったように感じる。

    私は子どもの時にこの家を飛び出して誰か(警察)に救いを求めても、この家に戻されるだろうし、そうなった場合、その後を想像すると恐ろしくて実行出来なかったという感覚が残っている。

    100%でないと動けない、わずかな失敗の可能性があるならば、そちらに焦点を当ててしまって動けなくなる自分がる。

  • NANA

    わかる〜
    コメント内容ほんと、それ!って思う
    逃げられても親は変わらないしね
    どれほどひどい環境だったとしても、大人になるまではそこに居るしか無かったよね。
    大人になった頃に逃げ出せなくなってる人も多いと思う。
    だいちゃん、ここまでよく生き延びたね!

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