パズルのピースが
埋まるとき
それは自分の意思とは関係なく
その瞬間がやってくる
私には絶対に開けたくない過去の扉がある
その扉は自分の意思で閉じたり開いたりできるものじゃ無いから
無意識にその扉から避けて生活をしている
ずっとそうやって生きてきたけど
避けられなくなる瞬間というのがやってくる
その時はすでにパズルのピースを埋める準備が出来たことを示しているのだろう
パズルのピースが埋まると言うことは
始まりと終わりが見えるということ
どんなに不快で苦痛に満ちた物語にも
始まりと終わりがハッキリするだけで
体感としては楽になったと感じる
何故ならばそれが過去の出来事だからだ
私は幼少期、母に殺されかけた
母と暮らした最後の日がこれだ
走ってきた母が私の目の前で正面から私の首を絞めたんだ。ほどなくして意識を失い、屋外で救急隊に抱えられた私の意識が戻ったのは一瞬で、その後、病院の処置室で服をハサミでザクザク切られているのに気づき、また意識は途切れ、次に目を覚ますのはモニターに繋がれた私が病室で父に名前を連呼されていた。目が覚めるまで私は夢を見ていた。いやあれは現実だったとも思う。妹と広い草原のような場所で一緒に遊んでいた。そこへピンク色の靄がかかり、妹はその靄に覆われるように消えてしまったんだ。私はひとりぼっちに取り残され泣いていたところを父の声によって、呼び戻された。
私は長らく母が私に手をかけた事がトラウマになっていると思っていた。
だからそれを想起させるもの全てを遠ざけて生活したけれど
私が抱えた本当のトラウマは、母が妹を殺してしまう現場を目撃した事だった。
その時わたしはその場に座り込み、何も出来ないまま、ただ泣き声が響く部屋から音が消えるのを待つだけだった
何も出来なかった事への罪悪感がずっと私をこの日に閉じ込めたのだと分かった
パズルのピース
最後が埋まる瞬間は周りの人の支えが必要になる
1人じゃない。その時やっと扉が開く。
この事件が起きる半年前くらいから
エピソード記憶というのをいくつか鮮明に記憶している
わずか4歳だった私の脳裏には
記録するという書籍のタイトルとも合致するような記憶だ
この事件のことをこうやって言葉に出来るようになったのは
パズルのピースを全て埋める事が出来たからだと思う
始まりと終わりが揃った時に
ようやくトラウマは過去の出来事に変わり始めるのだと思う
2件のコメント
ころ
私のおとうとも中1の時16歳上の兄に首絞められ隣のおじさんが止めてくれなかったら!、、、。という事件がありました。母は分裂病だからと言っていましたが、弟はいまでも兄は死んでいないのに、悔しそうに話します。トラウマになっているのです。ころ
nana
生死に関わる体験はトラウマになりやすいのです。そしてもう一つ、不条理な出来事というのもトラウマになりやすいのです。
この2つが重なった時、大きな影響を与えると聞いた事があります